第12回ギター名曲講座

最近、過去の動画をアップし続けている「ギター名曲講座」ですが、いよいよ今回が最終回になります!

と、その前に......。来週29日(土)には角 圭司さんとソプラノ歌手黄 子珊さんによる「スペイン歌曲」のコンサートがあります。ソル、グラナドス、ファリャ、M=トローバ、ロドリーゴと、誰もが知る偉大な作曲家の作品を聴くことができます。特に歌曲なので、優れた作曲家たちのメロディーの良さを堪能できます! おすすめですのでぜひぜひご来場ください!ご予約はコチラ

さて、「ギター名曲講座」最終回は、世界中で絶大な人気を誇る現役のコンポーザー・ギタリスト、ローラン・ディアンスです!「あー、一般ウケする曲多いよね~」と思ったそこのあなた!ディアンスの良さはそれだけではありませんよ!もう少し掘り下げてみると......

★第12回ギター名曲講座
コンポーザー・ギタリストの世界 ~ Vol.4
「ローラン・ディアンスの音楽、あるいは溢れる諧謔に隠れた精巧な虚像」


これまでの名曲講座では、様々な時代、国、ジャンルの音楽をご紹介し、いずれもがクラシックギターにとって大事なレパートリーであることを見てきました。第1回で取り上げたアグスティン・バリオスを形容する言葉として"雑多"という語を当てましたが、それは21世紀になった現在クラシックギターが手にしているレパートリーそのものを形容しうる語でもあります。

そのようなクラシックギターの特性をもっとも自覚的に用いている作曲家の1人に、フランスのギタリスト、ローラン・ディアンス(1955.10.19-)がいます。クラシックのみならずブラジル音楽、ジャズ、ロック、シャンソン、タンゴなど広大なジャンルの音楽をバックボーンに持ちながら、パリ国立音楽院教授という"権威ある"地位にいる彼は、"芸術"と"娯楽"の境界に身を置くクラシックギターを体現する存在と言えるでしょう。クラシック音楽家からは異端に見え、ジャズなどクラシック外のジャンルからはクラシックの音楽家に見える(=そのジャンルの音楽家には見えない)曖昧さは、多様な音楽を一手に取り込もうとするクラシックギターの"軽薄さ"そのものであるようにも感じられます。

広く浸透している人気作〈タンゴ・アン・スカイ〉(1985年)とそれを取り巻く状況は、ギターとディアンスの"軽薄さ"をもっともわかりやすい形で象徴しています。「パーティで酔っ払っていた時にその場で楽譜に書きつけたら、それがたちまち大ヒットさ」「今や、そのジョークに私自身が追い越されつつあるんだが」(※1)と本人が述べるように、「タンゴもどき」としてジョークで書かれたこの曲は、派手でわかりやすいギターのテクニックをふんだんに"軽々と"用いているため人気が高く、今やディアンスはおろかクラシックギターを一般に浸透させる上でも重要な役割を果たしています。徹底して"ウケ"を狙って書けるのはディアンスの優れた才能の1つではあるものの、当然これらはギター音楽にとっても作曲家ディアンスにとっても、ごくわずかな一側面でしかありません。

似たタイトルの〈ヴァルス・アン・スカイ〉(1994年)はやや状況が異なります。イル=ド=フランス・ギターコンクールの委嘱で書かれ、イタリアの名手アニエロ・デジデリオに献呈されたこの作品は、〈タンゴ~〉と同じくギターらしい即興的なフレーズとわかりやすい三部形式で書かれていますが、より緻密に、計算高く作られていることが譜面からわかります。音符や運指だけでなく、曲想に関する執拗なまでの書き込みはディアンス作品の特色の1つでもあり、「音楽は音符と音符の間で生まれ、楽譜の外にあるもの」(※1)と言う彼自身の言葉を思い起こさせます。そして実は、このような音楽に対する繊細な感性と神経質なまでのこだわりが、ディアンスの本質でもあります。

〈タンゴ・アン・スカイ〉に次ぐディアンスの人気作品として、同じく80年代に書かれた《リブラ・ソナチネ》が挙げられます。「リブラ」とは「天秤座」、すなわち10月19日生まれのディアンス自身の星座を指します。第1楽章Ⓐ〈インディア〉、第2楽章Ⓑ〈ラルゴ〉、第3楽章Ⓒ〈フォーコ〉からなるこの曲は(アルファベットは楽譜に記載)、派手なギターテクニックがふんだんに用いられた〈フォーコ〉が一際人気が高く、全体を通して弾かれることよりも、〈フォーコ〉のみが単体で弾かれることの方が多いような状況が続いています。ですが、目まぐるしい(けれど決して前衛的には聴こえない)第1楽章のトリッキーな変拍子や、第2楽章の鮮やかな和声感、執拗な書き込みも含めて、ディアンスらしい音楽性が全体にわたって発揮されており、第3楽章も、冴えたテクニックを駆使した怒涛の勢いだけでなく、クラシックギターの発音を計算してエレクトリックギターのエフェクト効果を模したようなディアンス独特の音像を聴くことができます。ちなみに、第1楽章〈インディア〉のタイトルは、作曲直前に彼が観たインド映画『Jalsaghar(ジョルシャゴル/音楽ホール)』(監督:サタジット・レイ)に由来し、冒頭に使われるアルペジョは、彼の編曲したジャンゴ・ラインハルト〈ヌアージュ〉の末尾にも使われています。

習熟した西洋音楽の手法を下地にしながらも、自身で培った中南米などの音楽のエッセンスをごく自然に"混合"させたディアンスの音楽は、(複数文化という意味での広義の)クレオール性を孕んだ音楽と考えることもできます(※「クレオール」は本来アンティル諸島(中米)出身のフランス植民地出身者に使われる用語ですが、ディアンスもかつてフランスの植民地であったチュニジア出身です)。それは単なる音楽の地域性だけでなく、クラシック音楽が築いてきた閉鎖的な文化空間を逸脱する試みとしても表われており、彼自身も「自分はクラシックの演奏家よりもジャズメンに近いと思っている」(※1)と述べています。作曲家と演奏家の分離、即興性のないコンサートなどに対し一貫して否定的な彼の態度は、クラシック音楽(そしてクラシックギター)が辿ってきた歩みへのアンチテーゼであるかのようにも映ります。ディアンスの音楽観から垣間見える「思想性」は、エドゥアール・グリッサンやパトリック・シャモワゾーなど、クレオール文学の重要な担い手たちがフランス国籍であることとも無縁ではないでしょう。

そのようなディアンスの「クレオール性」とでも呼ぶべき特色は、最初に世に出たディアンス25歳のときの作品《3つのサウダージ》(1980年)にすでに表われています。サウダージとは、郷愁や過去への憧憬、切なさなど微妙なニュアンスを包括するポルトガル語特有の言葉で、ブラジル音楽でしばしば使われる重要な語です。ディアンスの師で、パリ・エコールノルマル音楽院で教鞭を執るアルベルト・ポンセに捧げられた第1番は、副題として〈エリオのためのテーマ〉と添えられています(このエリオとは、ブラジリアン・ジャズの大家であるギタリストのエリオ・デルミーロ(1947-)のことと思われます)。いかにもブラジルらしい陽気な主部とノスタルジックな甘美さを持った中間部からなります。ヴィラ=ロボス夫人アルミンダに捧げられた第2番は、〈ショリーニョ〉と副題が添えられています。ショーロはまさしくヴィラ=ロボスが最も得意としたブラジル音楽ならではの形式ですが、この第2番も、リズムはもちろん、序奏に続きA-B-A-C-Aと展開される様はまさしくショーロで、そこにディアンスらしい洒落っ気が加えられています。そして、3つの中でもっとも人気でしばしば単体で弾かれる第3番は、フランスのコンポーザー・ギタリスト、フランシス・クレンジャンス(1951-)に捧げられ、副題には〈バイーア州セニョール・ド・ボンフィムの想い出〉とポルトガル語で添えられています。即興性の強い序奏風な「儀式」、ブラジル音楽のバイヨンのリズムと軽やかメロディーが強い印象を残す「踊り」、ロックさながらにパワーコードを巧みに用いてよりバイヨンを盛り上げる「祭りと終曲」の3部からなりますが、いずれの部分も強烈なインパクトを聴き手に与える、まさしくディアンス音楽の真骨頂と言える作品です。

同じくディアンスの"クレオール性"が垣間見えるブラジル音楽を意識した作品としては、近年では《トリアエラ》(2004年)が代表格と言えます。「トリアエラ」とはディアンス自身による造語で(彼はしばしば作品のタイトルを言葉遊びで決めます)、ギリシャ語で"3"を表わす「トリア」と、"Hey!"を表わす「エラ」を一続きにしたものです(※2)。ギリシャ出身の女性ギタリスト、エレナ・パパンドレウに捧げられました。3楽章からなりますが、いずれも6弦を通常の5度下の「ラ」にチューニングして弾かれます(ブラジル音楽ではしばしば低音弦を足した7弦ギターが用いられます)。第1楽章〈ライトモチーフ~ブラジルのタケミツ〉は、ディアンスが敬愛する武満 徹(1930-1996)への讃歌となっており、ハーモニクスと厳かな和音が静謐に鳴り響く、ディアンスの鋭敏な和声感覚が発揮された楽章です。第2楽章〈ブラックホルン~スペインがジャズと出会うとき〉というタイトルは、ジャズを得意とする黒人を表わす「ブラック」と、ヨーロッパの"ツノ"(=スペイン)を表わす「ホーン」(=ホルン)の掛け合わせでできています。半音階と跳躍進行からなるモチーフが執拗に繰り返され、全体は"静"と"動"の組み合わせで展開されます。第3楽章〈クラウン・ダウン~サーカスのジスモンチ〉は、ブラジルのピアニスト兼ギタリスト兼作曲家のエグベルト・ジスモンチ(1947-)への讃歌で、サーカスをテーマにした彼のアルバム『シルセンシ』にインスピレーションを受けて作られました。曲中鳴り響く低音のペダルが独特の疾走感を出す上で大きな効果をあげており、最後はディアンスらしい特殊奏法で盛り上がって終わります。3曲とも、ブラジル音楽特有の語法は希薄で、クラシックというにはあまりに軽く、ジャズにしては綿密に作られすぎている、クロスオーバーにしてもどっちつかずなこの《トリアエラ》は、それゆえに先述の《3つのサウダージ》よりもさらにディアンス独自の音楽、そしてクラシックギターならではの音楽を聴くことができます。

また、ギターにおいて編曲は、ジュリアーニやメルツ、そしてもちろんタレガなど、歴代のギタリストたちにおいて重要な務めの1つでしたが、ディアンスも数多くの編曲を手掛け、彼の幅広い音楽性を発揮しています。〈愛の讃歌〉をはじめとする26曲に及ぶシャンソン集、ショーロの大家ピシンギーニャの作品集、ショパン、サティ、ラヴェルなどパリのピアノ音楽を中心としたクラシック集、〈ヌアージュ〉〈A列車で行こう〉〈チュニジアの夜〉〈ラウンド・ミッドナイト〉などスウィングからモダンまでのジャズ名曲、ボサノヴァの〈フェリシダージ〉、アルゼンチンタンゴの〈エル・チョクロ〉、アルゼンチン・フォルクローレの〈アルフォンシーナと海〉など、あらゆるジャンルの有名曲をギターで表現し尽くしています。いずれも鋭敏な和声感覚とアイディア満載の特殊奏法でコンポーザー・ギタリストならではのユニークなアレンジを施し、原曲に依存しない、ギター作品として独立した魅力を確立しています。ディアンスの音楽性の重要な一側面を反映していると言えるでしょう。

派手なテクニックや取っ付きやすい「ジョーク」にばかり耳がいきがちなディアンスの音楽は、じっくり味わってみると、綿密に作り上げられた微妙なニュアンスや、そこから映し出される明瞭なイメージこそが重要であることがわかります。"正統"的なクラシックのスタイルではないディアンスの書法は、ギター音楽らしい"軽薄"な印象を与えることも少なくありません。しかし、すでに多くの聴き手・弾き手を魅了し、なおかつ掘り下げられるだけの内容をもった作品それぞれは、いずれ現在とはまったく違った文脈でも評価されることになると思います(それはごく大雑把に言えば日本文学における村上春樹の現象と似ているかもしれません)。そして、「私の音楽を演奏する人に望みたいのは、私自身が気づいていない新しいものを教えてほしいということ」(※1)というディアンスの願いが達成されるとき、「解釈」という行為を希求し続ける"クラシック音楽"の仲間入りを果たすことになるのでしょう。

そしてそのころにはまた、古今東西の様々な音楽ジャンルを取り入れた、現時点では想像もできないようなクラシックギターの作品が生み出され続けていることを願いつつ、この連載を締め括りたいと思います。

[参考文献]
※1『現代ギター』2001年5月号、初来日時のインタビュー
※2『現代ギター』2004年6月号対談「ディアンス×渡辺香津美」

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かなり余談になりますが......。実はこのコンサート、最初は「ディアンス・ナイト」というタイトルでした。しかし、このシリーズは通常のサロンコンサートと異なり昼~夕方の開催だと後から気が付き、開演時間を間違える方がいるといけないと思って、泣く泣く「ディアンス・イブニング」に変更しました(笑)。内容も語感も「ディアンス・ナイト」の方がしっくりくるのですが......。せめて気持ちとしては「ナイト」な気分で開催します!

というわけで、〈フォーコ〉あり〈サウダージ〉あり〈フェリシダージ〉ありの、絶対に楽しいディアンス「イブニング」にぜひお越しください! 解説にもある通り、ディアンスは「繊細」で「作りこまれた」部分が重要になる作品も多いのですが、名手・松尾俊介さんならそういったところも含め素晴らしい演奏をしてくださること間違いなしです! おそらく、アンコールでは例の超有名&人気曲もやってくれるはずです......。

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